先週末、九州の祖父が他界しました。
二ヶ月前の危篤時にお休みをもらって
祖父の病院にかよわせてもらったおかげで
お別れはすませていたので、動揺はせずにすんだ。
晩年はアルツハイマーを発症して
孫も子供たちの顔もわからなくなっていた祖父。
しかし、ボケてもなお変わらないのは、いつも笑顔なところ。
とても几帳面で器用な人で(残念ながら自分にその血は流れなかったが)
日曜大工や園芸が趣味。
日曜大工や園芸が趣味。
自宅には工具や旅先で拾い集めた石などが
丁寧に整理整頓されていた。
やさしくて真面目で、ひょうきん。
夏休みに祖父宅で走り回っていると
夏休みに祖父宅で走り回っていると
「家の中は走り回るためにはできちょらんちゃがね。」
とよく叱られながらも、「怖い」とおもったことは一度もない。
●●●
初孫であった自分は、たぶん特別に可愛がられていた。
それを感じていたぶん祖父の話に耳を傾けることは多かった。
祖父が酔うとよくした「シベリア抑留時」の話。
それを感じていたぶん祖父の話に耳を傾けることは多かった。
祖父が酔うとよくした「シベリア抑留時」の話。
ーー
自分たちが乗っている鉄道が
自分たちが乗っている鉄道が
どこにむかっているのかもわからないなか、
このまま日本に帰れるか?はたまた捕虜にされるのか?
と日々不安だったという。
そんななか
そんななか
「水辺がみえるとよ、それが湖か海かもわからんとやね。
みんなダァーと走って行ってから
その水を飲んで、たしかめるとよ。
塩水じゃったら、日本海じゃけんど、
『あぁ、しょっぱくない!』
その度に、やっぱり自分たちは日本には帰れんのか
とおもってみんなしょげて列車にもどるんよね、、」
ーー
そう話ながら、
目を細め、風景を思い浮かべている横顔は
いまでも思い出せる。
そう話ながら、
目を細め、風景を思い浮かべている横顔は
いまでも思い出せる。
●●●
葬儀の中盤、祖父の長男である伯父が
「父の子供時代は決して幸せだったとは
いえなかったと思います。」と語った。
なんとなくは知っていたけれど、
祖父は実の親からの愛情に恵まれたとは
いえない幼年期を歩んできたらしい。
詳細はわからない(し、聞く気もない)が
親戚のだれもが「捨てられた」という言葉を
決して口にしないよう心がけている。
そんなふうに感じていた。
親との不幸せな関係、戦争、ゼロからの戦後。
自分なら絶望をしていただろう困難を
いまの自分よりも遥かに若い年齢で
何度も経験したことは間違いない。
しかし、祖父は生き抜いていった。
そして、祖母と出逢った。
伯父の言葉がつづく。
「自分の幼少期、ある時期をさかいに
父の表情が変わり、やわらかくなっていったのを覚えている。」
自分にとっては「やさしくて真面目で、ひょうきん」
だった祖父にそうではない時期があったことを知った。
だった祖父にそうではない時期があったことを知った。
祖父は生きることの辛酸をなめ、困難を知り
なお「いつも笑顔」でいたのだ。
なお「いつも笑顔」でいたのだ。
●●●
子が4人、孫が10人、ひ孫が5人。
通夜、葬儀には全員が駆けつけた。
祖父が戦後を、人生を生き抜き、
育くむことに絶望していたら
育くむことに絶望していたら
これらの生命は紡がれていない。
逆を言えば、たった1人が生き抜くことで、
これだけ多くの多様性が世界にもたらされる。
これだけ多くの多様性が世界にもたらされる。
そこには祖父を支えたヒトたちの
陰日向ない心遣い・利他もあったことも想像にかたくない。
陰日向ない心遣い・利他もあったことも想像にかたくない。
●●●
これは、すべてのヒトに同じことがいえると思う。
すべてのヒトに生命があり、幼少期があるのならば
いまこの瞬間まで、自分自身を支えてくれた誰かがかならずいるはずだ。
ヒトは1人では存在しえない。
だから「人間」なのだ。
だから「人間」なのだ。
「生きること」は関わること
「生きること」は育くむこと
人間である以上
どこまでいっても私たちは、連綿と続く大きな物語の一部だと思う。
だからこそ、ただ「生き」ただ「育くむ」こと、
だからこそ、ただ「生き」ただ「育くむ」こと、
それ自体が、もう、とてつもなく偉大だと感じる。
画一的な世界で効率ばかりを考え、
縦の価値基準で互いを比べることになれてしまうと
ワタシたちはそのことを、ついつい忘れがちになる。
画一的な世界で効率ばかりを考え、
縦の価値基準で互いを比べることになれてしまうと
ワタシたちはそのことを、ついつい忘れがちになる。
●●●
お別れの時
この二日間つねに気丈に振る舞っていた祖母が、
この二日間つねに気丈に振る舞っていた祖母が、
「お父さん本当によく頑張ってくれたね。
お疲れ様でした!ありがとうね!」
そういって、ボロボロと涙をながした。
社会的には慎ましやかな
しかし、ワタシにとってはどこまでも偉大な
しかし、ワタシにとってはどこまでも偉大な
祖父の見事な生き様が、こうして幕を閉じた。
ーー
7年前
当時の恵まれた仕事をやめて、
世界に旅に出るかどうかを迷っていた自分。
7年前
当時の恵まれた仕事をやめて、
世界に旅に出るかどうかを迷っていた自分。
相談するとだれもが良い顔をしないなか
祖父にその話をすると
「それはいい経験になるっちゃろうね。」
そういって、そっと背中をおしてくれた。
ーー
「じいちゃん、繋いでもらった生命。
そういって、そっと背中をおしてくれた。
ーー
「じいちゃん、繋いでもらった生命。
せっかくだから自分が信じる道を妥協せずに
最後まで前のめりに生き抜いてみます。」
最後まで前のめりに生き抜いてみます。」
炉にむかう祖父に手をあわせながら、
心のなかでそう唱えた
そんな勇気をもらえる出来事でした。