2015年6月15日月曜日

⑤ソーシャルスタートアップならではの難しさ1 「当事者としての視点」

前回、ソーシャルスタートアップの特徴と可能性に触れましたが
今回は一方で起こりうる、ソーシャルスタートアップならではの落とし穴というか
気を付けておきたい点についてもまとめてみます。


1、当事者の視点から抜けだすのが難しい。

「驚きました、みんな、やりたいことが明確で、課題をよく捉えている」
これは、以前SUSANOOのブートキャンプにお越しいただいたメンターからのコメントです。

社会課題解決型ビジネスに挑戦する方にも
いろんな背景の方がいると思います。

なかでも、自身の原体験が、解決しようとしている社会課題そのものと、
強く結びついている方。つまり、課題の当事者である方が、
いまなお、結構な割合をしめていると感じています。
(もちろん、そうじゃない人も大勢いますが、、)

対峙している課題の当事者であるからこそ、
課題の現場に立ち続ける覚悟をもっていらっしゃるし、
その課題の背景についても詳しいということはあります。

ですが、私個人はここに一つ
大きな落とし穴もあると思っています。

それは、当事者としての視点・感情や痛みがわかりすぎるがために、
ともすれば、課題の当事者=被害者として、描いてしまうことが多くなるということです。

仮に起こっている現象そのものを、
「問題」として扱うところからスタートしてしまうと、
どうしても、その事業が成長していくプロセスで
「社会正義」や「支援」、「義務」といった、価値観論争に巻き込まれてしまいます。

その結果、結局のところ、
事業としては、「課題意識」に共感してくれる
特定のステークホルダーからの支えに依存してしまう構造となり、
結果として、目指していたはずの、大きな展開に
つながりづらいということが起こリ易いと考えています。

もちろん、そのように考えるべきでない課題の現場もたくさんあります。
人間の身体や精神など、生命そのものの危機や、小さな子どもたちが
直面する問題などは、少なくともそれに当たると思います。

それを前提としたうえで、
SUSANOOではあえて、「課題」を「機会」として捉えるという
アプローチを重要視しています。


たとえば、

「人口が減少して空き家が増え続けている」

という社会現象に対しては、
治安の悪化や、コミュニティ崩壊などを引き起こす
「課題」としてフォーカスし、その解決方法を考えようとするアプローチができます。

一方で、
あえて「機会」として捉えることで、
むしろ増えていく空き家を有益なリソースとして捉えることができれば、
新たなビジネスモデルやコミュニティ形成の起爆剤にすることも可能です。


これは記事①で触れた

学校とそりが合わず、勉強もせず、ルールにも従わない生徒を
「課題」として捉え不良と呼ぶこともできるし、

一方で、新しい規範を創造していく
可能性を秘めた人財として捉えることもできる、ということと同じなのです。


重要なのは、
ソーシャルスタートアップが、あえて
「課題」を「機会」として捉えるアプローチをとることで、

「課題を解決する」という収束していく未来へのチャレンジではなく、
「新しい価値を生み出す」という拡大・創造していく未来へのチャレンジに
つまり、全く別の意味に反転されるということです。

そうすると、ビジネス領域からみても、
ソーシャルスタートアップが目指す「市場の失敗分野」における
課題解決型のビジネスモデルの確立が、そのまま
「新しい市場の創造」と映ることになります。

私は、これにより、
ビジネスセクターからソーシャル分野に流れるヒト・モノ・カネ・情報も
これまでのチャリティ的な文脈に限られず、むしろ
積極的な投資対象として位置づけられるのではないかと考えています。

そして、なにより、人情としても
「楽しいこと」のほうが、より長く、深く、
関わりたくなるものではないでしょうか。


このように本来どこまででも「苦しむこと」のできる課題の現場に
「楽しそうな」アプローチで挑むからこそ、
「私達も一緒にやりたい」という仲間が次々に「雪だるま式」に増えていく、
といったことが、起こり易くなると考えています。


以上




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