2016年1月31日日曜日

「見えない方」と「みる」ことで、みえなかったものが観えてくる。  SUSANOO現場訪問④、コラブル

16年1月中旬、SUSANOO三期メンバー
Collable(http://collable.org/)の現場に訪問しました。
コラブルさんは、障害を持つ人たちとそうでない人たちを繋げて、
その「境目」のない社会を実現しようと活動をしています。
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今回の現場は、
まれ美さんという団体http://www.tomokihirano.com/とコラボしての
「視覚障害者と一緒にアート鑑賞!」というイベント@東大です。

場の様子(投影された作品は念のため塗りつぶしました。)
スクリーンに映し出された絵画など3つの美術作品を、
10人の目の見える方たちが、一人の目の見えない方に対して、
鑑賞している作品について、言葉を使って説明していきます。
「なんだ、美術鑑賞か」と思う方もいると思いますが、
実際に体験してみると、かなり深くて面白い!
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ファシリテーターの方から、ひと通り趣旨説明が済み、
最初にスクリーンに映し出されたのは、
頭部だけを彫ったローマやギリシャ彫刻のような石像。
目の見える10人の鑑賞者は
「首から上の像で」「ローマ時代とかにありそうな」
などの見た目の説明を行います。

ある方が「40代位の男性で、、」と説明したとき、
目の見えない方から
「なぜ男性だと思ったんですか?」
との意外な質問が挙げられました。
私からみても明らかに男性なのですが、
なにを見て「明らかに男性」なのか?
首が太い、眉毛が太い、りりしい、男らしい。。。。など
言葉にしようとすると、難しい。

普段、男らしいとか、女らしいとか、
私達が「如何に反射的に物事を判断しているか」に気づかされます。
これは、以前の&Hさんの馬との対話経験
http://susanoo-social-startup.blogspot.jp/2016/01/susanooh.html
にも通じる部分がありますね。
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また、三作品目に抽象画を鑑賞したときは、
捉えるべき特徴が曖昧になるため、
鑑賞者から発せられる言葉が、作品の説明ではなく
感想になっていきました。

「筆が荒い」「ちょっと気味が悪い」「僕はすきです。」
など曖昧な意見が出るのですが、目の見えない方は、
どんな意見にも先入観なく素直に、向き合っていました。
発言者がだれであれ、発言内容がどうであれ、
彼にとっては、どれも外界の貴重な情報なのです。
このことも、目の見える人が普段忘れがちな
感覚への素直さだなぁと感じました。
今回は、約1時間半をかけて、
このような美術作品鑑賞を3作品行いました。
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個人的に見えてきた、この場の大きな価値は、
障害をもった方とともに、世界を感じることで、
健常と呼ばれる人たちにとっても、
感覚が研ぎ澄まされるということです。

そして、なにより
障害を持つとされる方々と、そうでないとされる方々が、
このようなカタチで関わることで、
互いが互いのことを自分の感覚を拡張してくれる
「有り難い」存在になることができると感じました。

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コラブル、山田さん
貴重な場に参加させて頂きありがとうございました!!

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